東京地方裁判所 昭和45年(ワ)5811号 判決 1972年6月26日
原告 ビー・アール・デーバー
右訴訟代理人弁護士 ジェームス・エス・足立
同 細田貞夫
被告 ジェーン・デゲー
右訴訟代理人弁護士 手代木進
主文
被告は、原告に対し原告から金二一二万円の支払を受けるのと引換に、別紙目録記載の建物を明渡し、かつ、昭和四五年六月一日から昭和四七年六月六日までは一ヵ月金七万円、同月七日から右明渡ずみに至るまでは一ヵ月金一四万一〇〇〇円の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(一) 被告は原告に対し別紙物件目録記載の建物を明渡し、かつ、昭和四五年六月一日以降右明渡ずみに至るまで、一ヵ月金一五万円の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
(一) 原告は、昭和四一年五月三一日その所有にかかる別紙目録記載の建物(以下本件建物という)を、本件建物管理人である訴外アール・イー・デーバー商会(以下訴外会社という)を通じ、被告に対し、期間二年間(ただし一回限り更新可能)、賃料一ヵ月金七万円、敷金七万円、特約、賃借人は本件建物を住居以外の目的に使用してはならない(契約書第八条)、また、賃貸人から事前に書面による同意を得なければ、本件建物につき家の形態の変更、増築及び改築、塗装等をしてはならない(同第一一条)との約で賃貸した。
(二) 右賃貸借契約は、右約旨により更新され、二年後の昭和四五年五月三一日契約期間は満了することとなった。
(三) 被告は、昭和四五年六月分以降昭和四六年九月分までの賃料を支払わない。
もっとも、昭和四五年六月には既に本訴が提起されているが、被告は本件建物賃貸借契約の存続を主張しているのであるから、右の如く一六ヵ月にも亘って賃料を支払わないのは、原被告間の信頼関係を全く喪失せしめるものであるから、原告は、昭和四七年一月二四日の本件口頭弁論期日において陳述した準備書面によって、右を理由として、被告に対し本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
(四) 原告は、右期間満了の六ヵ月ないし一年内である昭和四四年一一月三〇日到達の内容証明郵便をもって被告に対し、本件賃貸借契約の更新を拒絶する旨の申入をした。
右更新拒絶には次のとおり正当事由がある。
(1) 本件賃貸借契約は、もともと原告が数年間外国に滞在する必要を生じたため、やがて帰国するまでの間賃貸する意図のもとになされたものであり、それ故にこそ、前記のとおり契約期間を二年間とし、かつ、契約更新は一回限りと定めたものである。
(2) 原告は、昭和四四年六月四日帰国したが、本件賃貸借契約が継続中のため、やむなく、他から肩書地にいわゆる三DKのアパート(約五九・五平方メートル)を一ヵ月金九万五〇〇〇円の賃料で賃借居住し、今日に到っている。
本件建物は、三六三・六三平方メートル(一一〇坪)の敷地の上に建てられた一六五・二八平方メートル(五〇坪)の広さを有する二階建モルタル造居宅であり、居間、ダイニング・ルーム、寝室(三室)、茶室、台所、使用人室、風呂場の九室及びガレージ、垣根付庭園があり、電話も敷設され、かつ、交通至便な住居地にあるので、右原告の借間と比較した場合、あらゆる点で本件建物の方が優ることは明らかである。それなのに、原告はこれを他人に貸し、わざわざ条件の劣る右借間を本件建物の賃貸料より高い賃借料・敷金(賃料九万五千円、敷金一二六万円)を支払って、賃借している実情である。
(3) 特に原告は、インド国人であり、また、訴外会社の社長でもあるので、慣習上多数の顧客及び友人等を自宅に招待しなければならないが現在の借間では、これが不可能でありひいては訴外会社の営業にも支障を来たすことになっている。
(4) 被告には、本件賃貸借関係をめぐって次の如き重大な信義則違反があった。
(イ) 原告は、前記(1)の事情から、専ら短期間の需要家であり契約を遵守する外国人(特に米国の軍属)を対象に本件建物を賃貸してきたが本件契約においても右事情を考慮し、外人相手専門の業者である訴外スターコーポレイションに、本件建物の賃貸を依頼したところ、被告は、本件契約締結にあたり、「私はミウラという者であり、デゲーの代理人である」と述べ、あたかも短期間で転居が予想される外国人が本件建物の賃借人であるかのように装った。
(ロ) また、被告は、本件契約締結にあたり、右スターコーポレイションの係員に、「賃借人は、独り住いで内職に帽子を作りこれをデパートに納めている。」と述べていたのに、実際は本件建物を終始塾教場として使用してきたものである。右は、前記特約(契約書第八条)に違反する。
また、原告は被告がその主張のとおり、本件建物につき補修工事を施したとの事実は否認するものであるが、仮に、被告がその主張どおり補修工事を行ったとすれば、これも前記特約(契約書第一一条)に違反することは明らかである。
右各契約違反の事実は、それ自体独立の請求原因として主張するものではないが、正当事由の有無を判断する上において充分考慮さるべきである。
更に、被告は、前記(三)に述べたとおり、長期間にわたり、本件建物の賃料または損害金の支払を怠っている。
(5) 一方被告は、本件建物を明渡すことができない理由として染色等の私塾経営の必要性を主張するが、もともと、本件建物における私塾経営は前記のとおり、契約違反の行為であるから、これをもって正当事由存否の判断資料とすることはできない。
仮に、右が契約違反にならないとしても、被告の現在の塾生は、二〇名ないし三〇名であって、その月謝は、一人当り金三、五〇〇円、入会金は三〇〇〇円であり、被告の塾経営からの平均月収は金七万円ないし金一〇万円である。しかして、右塾生の員数及び被告の一ヵ月の収入は、被告が本件建物に転居した前後を通じ増減しておらず、被告が本件建物の使用を固執する必要性は少ない。
また、被告は本事件の和解期日において、原告に対し本件建物を敷地を含めて買い受けてもよい旨申し出た。このことは、被告が少くともその時価である金三、一八六万円を支払い得る経済力を有することを示すものであって、被告が他に好適の建物を入手できる経済的余裕を有することを窺い知ることができる。
(6) 以上の諸事情に照らしても未だ正当事由がないとしても、原告は、本事件の和解期日において、被告に対し六ヵ月の明渡猶予、二〇ヵ月分の賃料免除及び被告主張の補修費の内金三〇万円を支払うことを申し入れた。
仮に被告が本件建物から転居することにより、収入の減少をきたすとしても、原告から右賃料等の免除及び金員の提供を受ければ、右損失を償って余りあるものというべく、原告が右範囲内で引換給付の判決を求めるならば、充分正当事由を具備するものである。
(五) 仮に本件賃貸借契約が前記更新の結果期間の定めのないものとなったとすれば、原告は本訴を提起し、かつ、これを維持することにより被告に対し引続き解約申入の意思を表示しているものであり、右解約申入には前同様正当事由が存する。
(六) 本件建物の昭和四五年六月一日以降の賃料は一ヵ月金一五万円を相当とする。
(七) よって、被告に対し本件建物を明渡し、かつ、昭和四五年六月一日以降明渡ずみに至るまで、一ヵ月金一五万円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び抗弁
(一) 請求原因(一)の事実中、被告が、昭和四一年五月三一日、原告が代表取締役である訴外会社を通じ、原告所有の本件建物を賃料一ヵ月金七万円、敷金七万円で借り受けたことは認める。
その余は否認する。
(二) 同(二)の事実は否認する。本件建物は被告において長期間賃借し得る約であった。
(三) 同(三)の事実中、被告が昭和四五年六月分以降の賃料の支払をしなかったこと、原告からその主張どおりの契約解除の意思表示を受けたことは認める。
しかし、原告は、被告が昭和四五年五月末頃同年六月分の賃料を現実に提供したのにその受領を拒絶したのみならず、その後原告主張の契約解除の意思表示をするまでの間、右受領遅滞を解消する措置を講じていないから、右契約解除の意思表示によって本件賃貸借契約は終了するものではない。
(四) 同(四)の事実中、原告主張の更新拒絶の意思表示がなされたことは認める。
同(四)の(1)の事実は否認する、
同(四)の(2)の事実中、本件建物の構造、立地条件、賃料、敷金が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は不知。
同(四)の(3)は争う。
同(四)の(4)の(イ)の事実中本件契約が訴外スターコーポレイションの仲介によりなされたことは認めるが、被告が原告主張のような偽罔行為をした事実は否認する、その余は不知、同(ロ)の事実中被告の賃料不払の事実、被告が本件建物を塾教場として使用している事実、本件建物につき補修工事をした事実は認めるがその余は否認する。
同(四)の(5)、(6)は争う。
(五) 同(六)の本件建物の賃料相当額が一ヵ月金一五万円であることは否認する。
(六) 原告の更新拒絶の申入には正当事由は存しない。
すなわち、
(1) 被告は、昭和三一年以来染色等の私塾を経営し、これにより生計を維持してきたものであるが、本件建物を賃借する以前は、新宿区坂町に、二戸の家屋を賃借し、右同様の私塾経営をしていた。
本件建物を賃借し、転居するに至った契機は、前居が塾教場として、手狭になったこと、また、前居が二戸別棟であったため種々の不便が生じたことからである。
そもそも被告の経営するジャン・デゲー塾は、洋裁、製帽、染色(特に沖繩紅型染)等各種の教授をするものであるが、主体は染色でありこれは、高尚な趣味に属し、従って生徒の大半は上、中流家庭の主婦であるから塾は、通塾に便利な所に開設されることが必要であり、また、染色は製作品の乾燥のためかなりの場所を必要とするところ、本件建物は、そのいずれからも条件にかなうものであった。
したがって、被告は、前居より本件建物への移転はこれがため通塾不便となる塾生の大半を失なう上、新居において新たに、塾生を獲得するまでには相当の日時を要し、結局塾生の激減を招来する危険があったのであるが彼此勘案し、一大決心をもって、本件建物に移転したのである。
果せるかな移転後は一時塾生は激減し、約三〇人になったがその後努力の甲斐あって、次第に塾生の数も増加し、移転後五年余を経過した現在ようやく一〇〇名をこえる塾生を獲得し、経営も安定するに至っている。なお、被告は本件建物に入居後自ら約金六〇万円を投じて本件建物に補修工事を施している。
それ故今もし再び本件建物より他に移転するとすれば被告は、大損害を蒙らなければならなくなる。
以上、被告は当分の間本件建物において私塾経営に当ることが唯一の生計維持の方法なのであり、その職業上、本件建物を必要とする程度は強度である。
(2) 原告は、当初は賃料の五割値上げを申入れこれが拒絶されるやアパート建設を口実にして、明渡を求め更に三転して自から住居として使用すると言い、最近では訴外会社が家主、富国生命保険会社より事務所の明渡を求められていることまで主張しているのであって、このように主張が変転すること自体原告の自己使用の必要性が極めて少いことを示している。
(3) 被告は、自己所有の建物を有しないので、原告から本件建物の明渡交渉を受けた以後、然るべき移転先の探索を続けている。然しながら一般住居とは異り被告の職業の特殊性に合致するような適当な移転先は容易に見い出すことができず被告の努力にも拘わらずついに今日に至るまで発見し得ない状況なのである。
三 抗弁に対する認否
原告が被告主張どおり昭和四五年六月分の賃料の受領を拒絶したことは認める。
第三証拠≪省略≫
理由
一 原告が昭和四一年五月三一日その所有にかかる本件建物を、被告に対し賃料一ヵ月金七万円、敷金七万円の約で賃貸したことは、当事者間に争いがない。
二 原告の賃料不払による契約解除の主張及びこれに対する被告の抗弁について判断する。
被告が昭和四五年六月分以降昭和四六年九月分までの賃料の支払いをしなかったこと、原告が右事実を理由に昭和四七年一月二四日被告に対し本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたこと、原告はこれより先昭和四五年五月末頃被告が同年六月分の賃料を現実に提供したのに、その受領を拒絶したことは当事者間に争いがない。
かように賃貸人が現実に提供された賃料の受領を拒絶したときは、以後賃料の不払を理由として契約を解除するためには、受領拒絶の態度を改め、自己の受領遅滞を解消させる措置を講じなければならないと解すべきである。
しかるに、原告は被告に対し、更新拒絶により本件賃貸借契約は終了したとして、昭和四五年六月一〇日本訴を提起し、本訴の係属中に突如として右契約解除の意思表示をしたものであることは記録上明らかであるから、右契約解除の意思表示によっては契約解除の効果は生じないというべきである。
三 ≪証拠省略≫によれば、本件賃貸借契約は、期間二年の約で、原告主張のとおり、本件建物を住居以外の目的に使用しないこと、また賃貸人の書面による事前の承諾なく本件建物につき増改築工事等をしてはならない旨の特約が存したことが認められる。≪証拠省略≫中右認定に反するかの如き部分は信用できない。
しかし、更新は一回(二年間)に限るとの約であったとの原告の主張事実は、仮にそのような約定がなされたとしても借家法第六条により無効であるといわざるを得ない。
しかして、当初の約定賃貸借期間満了の当時、原被告は格別更新の合意をすることなく、被告が本件建物の使用を継続していたのに原告が異議を述べることなく経過したことは弁論の全趣旨により明らかであるから、本件賃貸借契約は借家法第二条の規定により法定更新され、期間の定めのない賃貸借契約となったものと認めるのが相当である。
よって、原告の更新拒絶により賃貸借契約が終了した旨の主張は採用できない。
ところで、原告が昭和四四年一一月三〇日被告到達の内容証明郵便をもって、被告に対し本件賃貸借契約の更新拒絶の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、原告が右により本件賃貸借契約は昭和四五年五月三一日の経過により終了したとして、昭和四五年六月一〇日本訴を提起したことは記録上明らかである。
してみると、前記更新拒絶の意思表示をもって直ちに解約申入の意思表示と同視し得るかどうかは別として、原告は本訴を提起し、かつ、これを維持することにより、被告に対し引続き解約申入の意思を表示しているものと認むべきである。
四 正当事由の有無につき判断する。
(一) まず原告側の事情をみるに、≪証拠省略≫を総合すると以下の事実を認めることができる。
(1) 原告は、日本生れのインド人でその実父が設立した訴外会社の社長であり、昭和二三~四年頃本件建物を自己の居住用住宅として買受けたが、昭和二七年頃インドに一時帰国せざるを得ない事情が生じたため、訴外会社に本件建物の管理を委任した。
訴外会社は、原告の意を受けて、従来主として短期間で離日することの確実な米軍軍属に本件建物を賃貸してきた。
本件賃貸借契約に当っても、訴外会社は前同様の趣旨で賃貸借契約の斡旋を外人相手専門の業者である訴外スターコーポレイションに依頼した。
(2) 原告は、以後毎年のように来日していたが、昭和四四年六月、インドでの所用も片付き長期間滞日する予定で来日した。
原告は、本件建物に被告が居住しているため一時ホテル住いの後現在まで東京都港区南麻布二丁目九番一七号所在、星野アパート(広さ約一八坪位)に、賃料一ヵ月金九万五〇〇〇円を支払い居住している。原告は妻と二人暮しであるが、右アパートでは何かと不自由なため、本件建物に居住したいと希望している。原告は本件建物以外には建物を所有していない。
(3) 訴外会社は繊維機械の輸出入を主たる業とする従業員五、六人の個人会社であるが、昭和四六年六月その事務室として、賃借している富国生命ビルの一室について、ビル所有者である富国生命保険相互会社から、同ビル取りこわしを理由に、同年一二月末日限り明渡すよう要求されており、訴外会社は業績も思わしくないので原告は右事務室明渡後は一時本件建物に仮事務所を設置する外ないと考えている。
以上の事実を認定することができ、右認定に反する証拠はない。
(二) 次に原告が正当事由を有する根拠として主張する被告の信義則違反の行為の有無等について判断する。
(1) 本件賃貸借契約締結に当り、被告が、原告の意図を知っていて故意に賃借希望者は短期間で転居が予想される外国人であることを装ったり、本件建物を塾教場として使用する意図であることをことさらかくした事実は、全証拠によっても認められない。
(2) 本件賃貸借契約に、本件建物を住居以外の目的に使用しないこととの特約の存することは、先に認定したとおりであり、被告が本件建物を居住用としてだけでなく塾教場として使用していることは当事者間に争いがない。しかし、≪証拠省略≫によれば、被告の塾においては、主として紅型染を教授しているが、教場の設備としては部屋に机を置き棚を設置する程度で足りるし、一度に教える人数も多くて一六、七人であること、賃借以来管理人である訴外会社から注意を受けることもなく、平穏に塾における教授を続けてきたことが認められる。
してみると、被告が本件建物を塾教場として使用していること自体を正当事由の有無判定の一資料とするのは格別、被告に信義則違反の行為があったとすることは当らない。
(3) 本件賃貸借契約に原告主張どおりの無断改築等禁止特約が存することは、先に認定したとおりである。しかして、≪証拠省略≫によれば、被告は本件建物について原告の承諾を得ることなく、若干の補修工事を施したことが認められる。
しかし、≪証拠省略≫によれば、右工事の個所や規模は、雨もりを防ぐため屋根の一部を修理したり、落剥した壁に壁紙を貼ったり、便所の床の陥没部分を直し、破損したタンクを修復したり、室の扉の把手を修復したりした程度であって、建物本体にはなんら手をつけておらず、また建物の外観を変ずるような塗装をしたわけでもないことが認められる。右禁止特約はこの程度の工事をも禁止しているものとは解し得られないから、被告に信義則違反の行為があったとは云えない。
(4) 本件の場合被告の賃料不払が信義則違反行為に当らないことは前記二において判断したところから明らかであろう。
(三) 被告側の事情をみるに、≪証拠省略≫を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
(1) 被告は、主として紅型染を教える私塾を経営して生計を維持してきたものであるが、前住居(四ッ谷所在)が手ぜまとなったため、新聞広告により本件建物を知り、広告主であり仲介業者である訴外スターコーポレイションを尋ね、結局本件賃貸借契約を締結するに至ったものであるが、その際スターコーポレイションの係員からは、期間二年という話は聞いたものの、更新できるから心配はいらない旨説明され、原告主張のような原告側の特殊事情については、何一つ説明されなかった。
(2) 被告は独身の女性で、三、四人の内弟子と共に本件建物に居住しているが、住居において、兼ねて紅型染を教えるためには、少くとも一〇畳間位の部屋とゆったりした風呂場があり、かつ、一丈二尺五寸の帯が四本位干せる程度の広い庭のある家に住まなければならない。
また、染色は、高尚な趣味に属するから、塾生は大半が上、中流家庭の主婦でありそのため、塾は通塾可能な交通便利な場所に存することが必要である。しかし、右の諸条件を満たす貸家は、たやすく見つけられない実状である。
(3) 先に本件建物に転居したところにより、塾生は一時半減したが、現在では塾生も八〇名位となり、月収三十数万円(経費込み)を得ているものの、再び転居することになると、塾生が減って大損害を蒙る恐れがある。
以上の事実が認められる。
(四) 以上の諸事情に照らして考えると、原告が自ら本件建物を必要とする度合はかなり強度なものであるが、被告が本件建物を明渡すことによって蒙るであろう不利益は非常に大きいし、もともと、原告の内心の意思は別として、本件賃貸借契約は一時使用ではなく通常の契約であったことを考え合せると、いまだ正当事由があるものとは認められない。
(五) ところで、被告が本事件の和解期日に、原告に対して本件建物を敷地と共に買受けたい旨申出たことは当裁判所に顕著であり、≪証拠省略≫によれば、敷地を含む本件建物の時価は金三〇〇〇万円を越えるものであるから、結局被告は、自己資金ではないにしても、住居兼塾教場を確保するため金三〇〇〇万円程度の支出をなし得る経済力を有するものであることが窺える。
してみると、先にみた転居先発見の困難性はあるにしても、右の程度の支出が可能であるぐらいならば然るべき代替家屋を入手することは比較的容易であり、転居に伴う損害が相当程度償われれば、これにより正当事由は具備されると解して差支えないと考える。
(六) 原告は、本事件の和解期日に被告に対し賃料二〇ヵ月分を免除し、かつ金三〇万円を支払い、更に六ヵ月間明渡を猶予する旨申出、本訴においても予備的に同様の内容の引換給付の判決を求める旨申立てていることは記録上明らかである。
原告の右申出を金額に直すと、賃料月額金七万円の二六倍プラス金三〇万円で総額金二一二万円であることは計算上明らかである。
しかして、右金額は被告の前記損害を相当程度償うに足りるものであると認められる。
五 以上のとおり、原告の解約申入は遅くとも本事件の最終和解期日である昭和四六年一二月七日に正当事由を具備したので、本件賃貸借契約は、それから六ヵ月を経過した昭和四七年六月七日に終了したというべきである。
よって、被告は原告から金二一二万円の支払を受けるのと引換に、原告に対し本件建物を明渡し、かつ、昭和四五年六月一日から昭和四七年六月六日までは一ヵ月金七万円の賃料、同月七日から本件建物明渡ずみに至るまでは賃料相当損害金を支払うべき義務あるところ、≪証拠省略≫によれば、昭和四六年一〇月一日当時の本件建物の適正賃料額は一ヵ月金一四万一〇〇〇円であることが認められるので、右損害金の額も右と同額であると認められる。
六 よって、原告の本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用は民事訴訟法第九二条を適用して全部被告に負担させることとし、仮執行の宣言は付さないこととして主文のとおり判決する。
(裁判官 篠清)
<以下省略>